「ぼすとん茶の湯会」名の”由来”
まだアメリカがイギリスの植民地であった時代。
アメリカはイギリスの子分状態で、理不尽な仕打ちを受けていた。
ギリギリのバランスでせめぎ合っていた両国であるが、
ある時その均衡は音を立てて崩れ去る。
1773年、イギリスが茶法を制定したのだ。
ちなみに…。
茶というのは、主に紅茶。
時代背景として、日本は江戸時代の後半である。
杉田玄白らが日本初の翻訳本「解体新書」を著し、
田沼意次が幕府の老中として暗躍していた。「Let's 袖の下♪\(^o^)/」
茶法は、イギリスの会社に茶の販売を独占する権利を与えるものだった。
これに憤慨したのが、アメリカの急進派「自由の息子達」。
事件が起きたのは、1773年12月16日の夜。
ボストン(アメリカの都市)の「自由の息子達」は、
アメリカ先住民であるインディアンの格好をして、
ボストン港に停泊していたイギリスの茶貿易船を襲撃。
「ボストン港でティーパーティーだ」と叫びながら、
紅茶箱をボストン湾に投げ捨てる姿は圧巻の一言であったという。
これが、世に言う Boston Tea Party 「ボストン茶会事件」である。
この事件には、植民地人の間でも賛否両論が巻き起こった。
だが、アメリカ合衆国独立への大きな足がかりとなったのは確かである。
我々は考えた。
抑圧された者達の権力者に対する叫び、どうしてこれ以上にロックな叫びがあろうか。
しかし、我々は考えた。
攻めるばかりでは人々は心を閉ざしてしまう。
そして、我々はハタと気が付いた。
その扉を開けるには、もう一つの鍵が必要だ。
愉快・痛快・単純明快。
ボストン茶の愉快、転じて、ぼすとん茶の湯会、ここに誕生せり。
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そば茶に絡めて出雲そばまで対応できる万能っぷりには、業界からも一目置かれている。